境界例の彼女を持つ彼氏の日々の記録

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別れてから [2009年06月11日(木)]
僕らはだいぶ前に別れました。
と思ったら、まだ2年ちょっとなんですね。

僕らはお互い、分別を守って、辛い時期を辛抱し
今それぞれに、それぞれの実りを感じていることと思います。

率直に、出会いも別れも運命だったと思います。
その運命の中で、本当によく生きた。
今はそう思います。

トラックバックを整理できてすっきりした。
それが良かった。

ずいぶん、攻撃的なblog名をつけたけど、
今はもうお互いに違うね。
Posted at 12:44 | この記事のURL | Clip!!
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平凡な日々 [2007年02月21日(水)]
癒すでもない
癒されるでもない

感動もない。

ただ生きるために働いて
飯を食ってねる。

学ぶこともなく
反省することもない。

感激もなく
喜びもない。

平々凡々な生活。

冬の次に春が来て
春の次に夏が来る。

夏が来ると秋が来て
秋が来ると冬が来る。

年取って死ぬまで。


Posted at 21:30 | この記事のURL | Clip!!
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心を耕す人生 [2006年11月17日(金)]
深い人の心には悪魔も鬼も住んでいて、いると思うんです。誰にでも。

最近の人々は忙しくて、表面的に納めようとしすぎてて、
そのあおりを受けて僕らが深い心との格闘を強いられている
そういう一面が有ると思います。
僕の一人の悩みじゃないんです。そう思います。


心の大切な何かを見落としていて、
それを僕らは 耕しに耕し、
洪水で流され、それでも水路を造り直して、豊かな土地を作って
インスタントな人工物のあふれる世に出荷することを夢見ているんです。
それで、だから、すぐには出来ないんです。

柿栗3年 桃八年 って言うしね。

けれど、潤いある心を
誰かに伝えられたら、万々歳で。
もしかしたら、耕すだけ耕して、人生終わるかも知れない。

でも、きっと、だれかがそれをみて、後を受け継いでくれると思うんです。

だから、耕している姿勢はblogに書いてもいいかなって。

苦悩に向き合いながら、生きているだけでもほんとうにすごいことだ。
そんなことを表現して知ってもらうことがこうやって出来ることは幸せだ。

少なくとも、俺は幸せだと思っているよ。
Posted at 23:42 | 僕の彼女は境界例 | この記事のURL | Clip!!
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感じる限界 [2006年10月09日(月)]
人は感じることができます。
他人の愛情とか憎しみとか。
他人とのつながりとか、心の内とか。

そういう目に見えないものを感じる力が人にはあります。
第六感といってもいいかもしれない。

彼女や僕はそういう力がつよいと思う。
そんなに難しい事じゃない。


ちょっとした言葉の端々にみえる、語呂合わせや
ちょっとした身振りの一致や、不一致。
こういう出てきてしまう作られた物でない表現は
力つよく第六感として伝わる。

はっきりと現れる文字や言葉よりも
あいまいなままでてくる、ごまかせない領域は
伝わると強力だ。


この力が強いから、共依存になれると言えるかも知れない。
つながるつよさ。転移逆転移、無意識的つながり、信頼関係、しがらみ、縁
色々いいかたはあると思う。


この感じる力がつよいと、困ることがある。
それは、相手の心に振り回されてしまうこと。
振り回されるから、つながっていると感じることができるし
振り回されても離れないほどつながっているから、共依存なのだけど。


それによって、互いの社会生活に支障がでてくるなら、
それを共依存と呼ぶんだろな。

支障がでてこないなら、共依存でなくて
おしどり夫婦の、お似合いカップルになるわけさ。


ま、そういうわけで、
感じる力が強いがために、支障がでるなら
感じる力を押さえましょ。 という話です。

その限界が何処にあるかといったら、
支障がでない範囲までです。




相手の愛情を感じて、舞い上がってもよし。
相手の悲しみを感じて、泣き暮れてもよし。
相手の苦しみを感じて、我が身傷つけてもよし。
だけど、それは社会生活が成り立つ範囲で。

それが大人ってことでしょーー??



なりふり構わず泣いたり笑ったりできるのは赤ちゃんだけで、
自分の感じる力に責任を持てるのが大人なのさ。
そうおもったから、俺が苦手なところだけど、
だって、共依存者だから。
苦手だけど、がんばって大人になって
自分の限界の範囲内で相手と通じ合って
相手と共にいきて、
社会適応できるところで感受性豊かに生活して
それができたら共依存打破じゃない!

それが目標。
自分の限界を見極めて、社会生活に支障が出ないところで感じる。
生き生きと感じる。感動。大感動!! 
我が人生ここにありってぐらい、大感動の人生をあゆむわけよ。

それが今年の目標だ!!

Posted at 19:58 | 僕の彼女は境界例 | この記事のURL | Clip!!
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別れる自由から [2006年10月01日(日)]
人間の関係には、前提として
 別れる自由がある。


彼女とのつながりを信じたり
無力感に堪えるのもいいだろう。


しかし、それは別れる自由を束縛している事につながる。


ひもは、ふにゃふにゃだけれど、縛れば固い。


僕が人生を歩んでいて、別れるも付き合うも僕にも自由がある。
つながりを信じるのも、
無力感に堪えるのも、
やるかどうかは、僕に自由がある。




前二つの文章には、
「優しさのやり場が無いとき」 と、
「優しさが湧かないとき」 について書いた。
そして、それぞれが
僕が距離を近づけられない 無力感と
彼女が距離を近づける事に応えられない 無力感があると書いた。


「別れるのは自由」、これは
距離が遠くなる自由を言っているし、

「つながりを信じる」 これは
距離を詰める自由を言っている。



彼女との距離は、僕に自由がある。
彼女にも自由があるのだけど、僕にも自由がある。



自由であるという、喜び。
自分で自分の生き方を決められる、自由である喜び。
自分で選択して生きているんだ。
Posted at 18:49 | 僕の彼女は境界例 | この記事のURL | Clip!!
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優しさが湧かないとき [2006年10月01日(日)]
一つ前では、「優しさのやりどころの無いとき」について書いたけど、
今日は優しさが湧かないときについて書いてみたい。


たとえば、
「メールを返して欲しい」に対して
 メールを返せない。
 めんどくさかったり、疲れていたり。

「もっと一緒に遊んで欲しい」に対して
 遊べない。遊びたくない。
 時間がない。気力がない。一人でいたい。他人と遊びたいとか。
 
「もっと謝って欲しい」に対して謝れず

「愛情を証明して欲しい」に対して、満足感を与えられない。

これらに、応える優しさが湧かない感覚は、
ある種の無力感です。

「優しさのやりどころの無いとき」は
こっちから彼女に近づけない感覚で、
彼女との距離が近づけない無力感に近い。


「優しさが湧かないとき」は
彼女からこっちに近づけない感覚で、
彼女が近づくのに応えられない無力感に近い。



彼女との
距離を近づけて欲しいとか
距離が近いことを証明して欲しいとか

これらができないときは
彼女は強い怒り、悲しむ。



この、彼女の強い怒りや悲しみは
僕の心を捕らえて、ぐっと引き寄せる。
そして、時々は彼女は距離を近づけることに成功する。
しかし、時々はそれに応えることができない。

すると、彼女はさらに怒り、悲しむ。
しかし、応えることができないときがある。

ある。

そこに生じるのは無力感。

この無力感故に対して、挑む。


大切なのは、無力感だということ。
どうしょうもないということ。
Posted at 18:11 | 僕の彼女は境界例 | この記事のURL | Clip!!
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優しさのやりどころが無いとき [2006年09月27日(水)]
優しくしたいのだけど
伝わらない無力感を感じるときがあります。

たとえば、今は離れていて
いくら心配しても、どうしょうもないんです。

自分の手の皮がむければ、元カノに蕁麻疹が出たんじゃないかと心配になり
自分が少し風邪気味になれば、元カノは風邪をひいていないだろうかと気にかかる。

こういう、虫の知らせというか、
物理的でない事による心のつながりを感じることは
恋愛感情でもあり
妄想的であり
愛情でもあり
憎しみでもあり

まとめて言えば、沸き上がる強い感情です。

この、強い感情のうちで、
愛情や優しさのやりどころに困ることがある。



愛情や優しさは心だから形が無くって、
現実をどうしても通す必要があって
頭をなでたり、言葉にしたり、笑顔を向けたりするんです。

だけれど、
これらの現実的な行為を受け取ってもらえないとき、
頭をなでるのをいやがられたり
メールや電話の返信がなかったり
笑顔を向ける人がそこにいなかったり。

そういうときは、強い感情
優しさや愛情のむけるやりどころがないんです。

そういうときは、
その自分の感情エネルギーが強いほどに
無力感に襲われます。


この無力感に僕らは挑まなくてはいけない。

ただ無力感を脱するがために、強引に優しさを押しつけてもいけない。
無力感を感じないように、優しさを引いてもいけない。
この無力感にぐっとこらえながら、
出ように出ることのできない、優しさのエネルギーを暖め続ける必要がある。

重い雪がとけて、
春になって草花の芽が力強くでるように、
その内なるエネルギーを蓄えて春を待つ。

「重くても こらえて待てや 雪の竹」
 


春になれば、自然と草は芽をだすんです。そのときまで。
Posted at 21:21 | 僕の彼女は境界例 | この記事のURL | Clip!!
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離れて四ヶ月 [2006年09月24日(日)]
もう、元カノといったほうがいいのだろうか。

連絡が無いわけでもなく、
近況を伝え合うわけでもなく、
表面的には何も伝え合わず、絆がないようで、
裏面では妙につながりが続いている。

コメントでよく頑張ったと書いてあるが、
今の僕には、以前のようなタフさはもうない。

僕が普通になって成長したともいえるだろうし
新しい人間関係になったとも言えるかも知れない。

最近、ありがとうと思うことが多くなりました。
何かにつけ、
朝の空気がおいしかったり、友人が優しかったり。
ありがとうと言うことも多くなりました。
ありがとうって言って、言うと気持ちがいいことが多いです。

前みたいに、ニヒルに、ありがとうの利己的な考えなどを考えなくなったし
自分を否定することも少なくなった。


休めないときは、気持ちの疲れを先延ばしにもできるけど、
気持ちが疲れたなって気づけるようになったし
疲れたら休憩できるようになったし、
休憩すると元気になっていくのがわかる。

気持ちが疲れて、
それでも元気になれる事や
方法や、疲れていることを周囲にはばからず出せる事
疲れている自分に焦らないこと

そうなっている今がとても幸せです。

冬に向け、どんどん、どんどん、忙しくなります。

それでも今みたいに自分のペースで休憩できて
周りにありがとうって言えますように。
Posted at 20:09 | 僕の彼女は境界例 | この記事のURL | Clip!!
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普通じゃないと自覚する怖さ [2006年08月19日(土)]
自分がかわっているということが、
最近実感として出てきた。

俺は彼女に匹敵、もしくは俺のほうが変わっているかもしれない。
社会適応を難しくするほどの俺の個性は、
彼女と会うことによって変化を求められた。

それに付き合って、彼女が症状をだしたのだとしたら。。。
原因は俺なのかもしれない。。。



そう、最近考えている。



そして、変わっているが故に、普通の恋愛ができず、
幸せな家庭を持てないんじゃないか
他人を不幸にする存在なんじゃないか。

そう思って、本当に怖かった。し、怖い。。

病名をつけられ、直視する怖さとはこういうものだろうか。
Posted at 11:54 | 僕の彼女は境界例 | この記事のURL | Clip!!
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受け入れること [2006年08月11日(金)]
もう前回かいてから、一ヶ月ですか。。

宿題決めていたんです。
自分が何をしたいのか気づく事と、
自分が嫌だと思った瞬間に、その価値判断をやめて
そうである自分を受け入れてあげること。

でも、両方とも難しくて。。
やればやるほど、自分の課題の大きさに圧倒された一ヶ月でした。

ただ、共依存が互いに成長を求めての出会いだったことを信じて
前に進もうと、前を向こうとがんばっているんです。

その先がどうなっているのか分からないし、
宿題は難しくて、いつ納得できるところまで行くことやら。
見通しがつかないのが人生か・・

To U
Posted at 22:04 | 僕の彼女は境界例 | この記事のURL | Clip!!
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